下まで降りてきて沢を渡ると、再び急な上り坂となる。
先程下ってきたのが女坂、これから登るのが男坂、ここの谷間には仲人茶屋があったそうである。
坂の途中で、休憩中の男女を追い抜いた。私達より少し年上くらいのご夫婦だろうか
男坂を登り切った場所にあるのが岩神王子、ここで私達も休憩することにした。
先程のご夫婦が私達を追い抜いていくのを見送る。
ご主人の方は、何処かで拾った弓のように曲がった木の枝を杖代わりにして、嬉しそうに歩いていた。バネのように弾力があって良いのだそうだけれど、端からはなかなかそうは見えない。
私達も再び歩き始める。
今度は、延々と下り坂が続く。せっかく苦労して登ってきたのに、とっても損した気分である。
登山と違ってピークを目指すわけではなく、ひたすら登って下っての繰り返し。山を縦走した経験はないけれど、こんなものなのだろうか。
縦走の場合はピークにたどり着く度に、それぞれの感動がありそうだけれど、ここの場合はピークに立っても眺めが良いわけではなく、それはただ次の下りの始まりでしかない。
ブツブツと文句を言いながら下ってくると、小さな谷川へと出てきた。
頭に巻いていた日本手ぬぐいを、綺麗な沢の水で湿らせて、それで顔を拭く。ヒンヤリとした冷たさが心地良い。
それをまた頭に巻いて歩き始める。
古道はしばらくの間、この谷川沿いに続いている。最初はほんの僅かな流れだったのが、次第に他の沢水を集めて、大きな流れへと変わってくる。
そんな流れを見ていると、足の疲れなど忘れてしまう。
先程のご夫婦が、道の上でカニを見つけて大騒ぎしていた。かみさんが「沢ガニですよ」と知ったかぶりをして教えている。
やっぱり、道の上をカニが歩いているのは、こちらの方でも珍しいことなのだろうか。
ちなみに、後で調べてみたら、このカニは沢ガニとは違う種類みたいだった。
また、私達の方が先に進むことになった。
川幅は更に広がり、これならカヌーで下れそうかな何て話しをしていると、古道は橋を渡ってこの川の対岸へと続いていた。
こんな川を見ていると、ついつい我慢できなくなり川原へと降りてしまう。
本当に美しい流れである。
そのまま橋を渡ろうと思ったら、蛇形地蔵の案内板を見つけて、先に渡っていたかみさんを呼び戻した。
小さな社も建てられていて、随分と大事にされている地蔵だと思ったら、旅人の遭難を防ぐお地蔵さんらしい。
その前のベンチに男性が一人、寝ていたので、邪魔しないように直ぐにそこを立ち去った。
歩き疲れて寝ていたのだろうか。
橋の対岸から大勢のグループが渡ってきた。
昨日は歩いている間、誰とも会わなかったのに、さすがに天気の良い今日は歩いている人も多いみたいだ。
その先には平坦な地形の杉林が広がっていた。
江戸時代には多くの茶屋や民家があったそうだけれど、現在はその面影は全くない。
歩きやすい場所なので、本日2度目の後ろ姿写真を撮影する。
坂道での撮影と比べると、とっても楽である。
その先の湯川王子には、例のご夫婦が既に到着していた。
私達が蛇形地蔵に寄り道している間に、追い越されていたらしい。
そのご夫婦が、赤い実を沢山付けた植物を見つけて「これは何でしょう?」と聞いてきたので、かみさんがすかさず「これはまむし草と言って、上の方から順番に実が赤く染まってくるのですよ」と説明していた。
実は今日、歩き始めた頃にこの植物を見つけて、「これは何て言う名前なんだろう?」って二人で頭を悩ませていたのである。
私は、この植物が数週間前の新聞に載っていたのを知っていたので、「ほらっ、新聞に載ってただろ、何だっけ?、蛇とか毒とか、そんな名前だった気がするけど・・・」
「あっ、まむし草ね!」
その時は、蛇と毒からまむしが出てくるのも凄いな〜と感心したものだ。
それを今、かみさんが知ったかぶりでそのご夫婦に説明しているのを聞いて、吹き出しそうになってしまった。
また私達が先に進むことになる。
再び急な上り坂が続く。腕時計の高度表示の数字がどんどんと増えてくる。
せっかく下ってきた分をまた登り返す感じで、ここの登りが一番きつく感じられた。
そして突然舗装道路へと出てきた。ここが三越峠で、休憩所でお弁当を食べることにする。
のなか山荘で作ってくれたおにぎりはとても美味しかった。
毎日、私と息子の弁当を作らされているかみさんは、「人に作ってもらったお弁当って本当に美味しいわね〜」と感動しながら食べていた。
食事を終えて一服していると、「あら〜、舗装道路へ出てきたわよ〜」と甲高い女性の声が聞こえた。
そちらを振り返ると、例のご夫婦の奥さんだった。
旦那さんはしばらく遅れて、ようやく上まで登ってきた。
この辺りは私達夫婦と同じで、登りは女性の方が強いみたいである。
休憩所で話しをしていると、そのご夫婦も札幌からの旅行者であることが分かり、お互いにビックリである。
どうりで、カニの姿を見てあれだけ驚いていた訳である。
まむし草を知らなかったのは、多分北海道新聞をとっていないからなのだろう。
この日は、途中の小広王子から歩き始め、行けるところまで歩いて、その後は温泉に泊まる予定とのこと。優雅な行程で羨ましい。
多分、この先でもう一度出会うことは無さそうなので、お別れの挨拶をし、一足先に歩き始める。
登った後には必ず待っている下り坂、濡れて滑りやすくなっている場所も多く、この日は私とかみさん、それぞれ一回ずつの尻もちを付いている。
その上に私は足も挫きかけて、何とか堪えたものの、その際に左足の甲の外側を痛めてしまったようだ。
おまけに左足の親指にも、まめができそうである。
杉林の中を下っていくと、建物跡のような石垣が目に付くようになってきた。ここも昔の茶屋などの跡だろうか。
杉林の中に石垣だけが段々畑のように続いている様子からは、かなり大きな集落がここにあったことが想像できる。
更に歩いていくと木造の廃屋も一軒残っていた。
どうやら、江戸時代の茶屋跡ではなくて、昭和の遺跡のようである。杉林に呑み込まれた石垣だけを見ていても、時代の区別はつかないのである。
「それにしても何でこんな山奥に集落が?」と思いを巡らせていると、その先は車も通れるくらいの林道になっていて、拍子抜けしてしまう。
それでも、ここで人々がどんな暮らしをしていたのか、思いを巡らすのも楽しいものである。
そのまましばらく林道を歩き、途中から川沿いの道へと降りていく。
コンクリートで固められた川を渡り、砂利の流れ込んだ荒れた川の様子を眺めながら歩いていると、古道歩きの気分は完全に吹き飛んでしまう。
全てが山の中の道を歩くわけではないのだから、これくらいは我慢するしかないのだろう。
名前も分からない色付いたカエデを眺めながら歩くことにする。
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