カヌークラブの新年会は例年スキー好きのメンバーが集まり、何処かに1泊してのスキーツアーというのが恒例である。
当然ゲレンデスキーではなくて、近くの山に登ってのバックカントリースキーだ。
私も去年、それまでのスキー靴が壊れたことを理由に山スキーの用具一式を取りそろえたのだけれど、キロロと旭岳で平らなところをチョコチョコ歩き回っただけで、せっかくの山スキーが何の役にも立っていなかった。
そこで今回はこの新年会に参加して、ベテランメンバーと一緒に山に連れて行ってもらうことにしたのである。
宿泊場所は五色温泉。ここならばアンヌプリやイワオヌプリ、チセヌプリにニトヌプリとお好みの山に登れそうだ。
天気予報も日曜日には晴れ間が広がるとのことで、山の頂上からの真っ白な雪景色を頭に思い浮かべながらニセコへと向かった。
チセヌプリスキー場を過ぎて五色温泉へと向かう道は、両側に雪の壁がそそり立ち雪の回廊となっている。少しでも吹雪けば完全なホワイトアウトの世界になってしまいそうで、そんな時には絶対に走りたくない道だ。
クラブで予約しているのは五色温泉旅館の自炊棟である。新しくて立派な本館から一本の渡り廊下を渡ると、突然タイムスリップしたような錯覚に囚われた。
冷たい空気がどんよりと溜まった廊下、その横の小さな洗面所では、真っ茶色にさび付いた蛇口から凍結防止のために水が流しっぱなしになっている。
ギシギシと音を立てる階段をそろりと2階に上がると、何十畳もの大部屋が3つほど並んでいた。開け放たれたドアから中を覗くと、変色した畳や天井、角には薄汚れた寝具が山積みになっている。
一箇所だけドアが閉まっていて、その前の廊下にクーラーボックスや靴が並べられている部屋が、クラブで予約した場所みたいだ。
ドアを開けて中にはいると、石油ストーブで暖められた空気に触れられホッとする。
温泉に入って一息ついてあとは、各々が持ち寄った食材で鍋を囲みながらの夕食となる。
新年会は五色温泉旅館に泊まると聞いていたので、かみさんは出発前日まで上げ膳据え膳の優雅な世界を思い浮かべていたようだ。
「えっ!食事の準備もしなきゃダメなの!!」
結局、卓上コンロや土鍋など、いつものキャンプ以上の大荷物を抱えて温泉旅館までやってくることになってしまった。
去年のカヌークラブ例会でキトウシ森林公園の「大正時代体験の家」に宿泊した時もそうだったけれど、かみさんは皆で雑魚寝をすると全然眠られない質なのである。
今回も寝るための部屋として大部屋が一つ用意されていたが、他に誰も宿泊客もいなく、使われていない部屋はドアに鍵がかかっているわけでもない。
そこで、空いている大部屋の一つを勝手に使わせてもらって、我が家だけそこで寝ることにした。
暖房も入っていなくて部屋の畳も冷え切っていたが、何時も雪中キャンプで使っているシュラフを持ってきていたし、部屋の角に積み上げてあった敷き布団を2枚重ねでシュラフの下に敷いたところ、ホテルのベッドよりも快適な寝心地である。
ぐっすりと眠り込んでいると、突然部屋を揺らす轟音で目を覚まさせられた。建物まで崩れてしまうのではと心配になるほどの迫力である。
その後も時々、ミシッ、ミシッと言う不気味な音がどこからともなく聞こえてきて、次第にその音と音の間隔が短くなってくる。
そしてついには、再び先ほどと同じような轟音が私たちの寝ている部屋の上を通り過ぎていった。
シュラフの寝心地は良かったものの、結局かみさんはほとんど寝られなかったようである。屋根の雪が滑り落ちる時の轟音にも全然気が付かずに眠っている人もいたというのに、困ったものだ。
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自炊棟の炊事場
この自炊棟がまだ新しかった頃、ここは旅館の厨房だったのだろう。
無理して土鍋など持参しなくても一通りの食器や鍋類がそろっている。
プロが使うような道具類もあって、かみさんは結構楽しんでいたみたいだ。 |
翌朝は若干吹雪模様の天気だった。
何処の山に登るか話し合った結果、我が家のレベルも考慮してくれてチセヌプリに決まった。そこならスキー場のリフトの終点から1時間程度で頂上まで登れるとのことである。
片づけを終えてチセヌプリの駐車場へ向かうと、山の中腹あたりまで見通せるくらいに天気も良くなってきた。
1回券を購入してリフトに乗り込む。
チセヌプリはリフトが1本あるだけの小さなスキー場だが、学生時代のスキー旅行や就職して間もない頃の職場でのスキーツアー等で何度も滑りにきたものである。
今でこそフード付きの二人乗り高速リフトになっているが、当時はカラカラと音を立てながらゆっくりと上っていく昔ながらのリフトしかなかった。最近の高速リフトしか乗った経験が無い人には、そのスピードはまるで停まっているのかと錯覚するくらいの遅さだろう。
当時はそんなことも気にならずに、同じリフト、同じコースを上っては滑るの繰り返し、飽きることもなく1日30本以上滑っていたものだ。
二十数年ぶりのゲレンデをリフトの上から懐かしく見下ろしているうちに、あっと言う間に終点に到着してしまった。
かみさんがスノーシューに履き替え、スキーは私のザックに取り付ける。
今シーズンはかみさん用の山スキーを買うという約束になっていたけれど、結局今回には間に合わなかった。
皆の迷惑になるから登らないと言うかみさんを「行けるところまで行って、無理ならそこから滑り降りればいいよ。」等となだめすかしながら連れてきたので、これくらいのサービスはしなければならないのだ。
スキーを取り付けると、ザックのベルトがずしりと肩に食い込んできた。
私たちのグループに前後してリフトに乗ってきた人達は、皆そのままチセヌプリの山頂を目指すみたいでゲレンデを滑り降りる人は誰もいない。
リフト終点からしばらくは下り坂になっている。そこまで滑り降りてからスノーシューに履き替えたり、スキーにシールを貼り付ける人もいるが、私たちは駐車場でシールを貼ってきたのでそのまま直ぐに登り始めた。
最初の急坂で早くも息が切れてくる。
背中にスキーを担いでいると重心が上の方になってバランスが悪い。斜面に合わせてかかとのバインディングを上げようと体を傾けると、そのままバランスを崩してフワフワの雪の中に倒れ込んでしまった。背中が重たいのでなかなか起きあがれない。
幸い私が最後尾で、後ろからは誰も登ってきてなかったので、この無茶苦茶に格好悪い様は誰にも見られなかったようだ。
何とか起きあがって登り続けるものの、余計に息が切れてきてしまった。
その坂を登りきったところで小休止。その時点でびっしょりと汗をかいていた。
ジャケットの下に着ていたフリースを脱いでザックの中にしまい込む。それでもジャケットそのものが中綿入りなので、こんなに汗をかく時の上着には向いていない。
かみさんなんか、ダウンのモコモコのジャケットである。「一枚脱がなくて大丈夫か?」と聞いてみたが、そのまま登るつもりみたいだ。
振り返るとリフト乗り場が小さく見えていたが、高度から言うとそれほど高くまでは登ってきていない。
反対側の山頂は雲に隠れて見えない。あとどれくらい登れば良いのだろう。
しばらく緩斜面を直登して、いよいよチセヌプリの斜面が間近に迫ってきた。そこからはジグザグ模様を描くように斜面を斜めに登っていく。
先行して登っていくグループの姿が斜面上に幾つか見えている。そのトレースを辿って私たちも登り始めた。
シールを付けて初めて登る急斜面である。
シールと言う秘密兵器があれば、どんなところでもスイスイと登れるものだと信じ込んでいたが、これがそんな夢の兵器ではないと言うことに直ぐに気が付いた。
急な斜面で気を抜くと、板がズルッと後ろに滑ってしまう。ストックでも体を支えなければならない。
ところが斜面上だと山側と谷側ではストックをつく高さが違うので、これがなかなか大変だ。
しばらく苦労しながら登っていて、ある時ふと気が付いた。山スキーとセットで購入したストックは、長さが調整できるのである。
買った時は、スキーショップのようにあらゆる長さのストックを用意しなくても済むように伸縮式のストックを売っているだけなのだろうと考えていたが、こんな時のための機能だったのだ。
そんなことも知らなかったのかと笑われそうだが、初心者とはこんなものである。最後まで気がつかずに登ってしまうよりはまだましだろう。
谷側のストックを長くして少しは楽になったものの相変わらずハードな登りが続く。
ジグザグの折り返しでは向きを変えるのも一苦労だ。かかとの上がるスキーを履き慣れていないし、そんなスキーで急斜面を上に向かってステップターンするのは至難の業である。
スノーシューで登るかみさんも悪戦苦闘していた。
そもそもかみさんの持っているスノーシューは、平地での軽いトレッキング用のモデルなのだ。
先行するグループにスノーシューを履いている人間がいるので、始めの頃はその跡を辿りながら何とか登れていた。ところが次第に積雪が少なくなりその跡も薄れてきて、それからが大変である。
スキーならば斜めになっても真っ直ぐに立つことが出来るが、幅の広いスノーシューではそうもいかない。靴がしっかりと固定されているわけでもないので、斜めになるとスノーシューの上でかかとがずり落ちてしまう。
本来はスノーシューで登る時は直登するものなのかもしれない。積雪が少なければなおさらだろう。
実際に、ほとんどのスノーシューのグループはほぼ真っ直ぐに登って行っている。しかし、そんな人達のスノーシューはかかとが途中で止まるようにヒールリフターというものが付いているのだ。
斜めに登るのを諦めたかみさんは、とうとう無謀にも真っ直ぐに登り始めた。
30度以上の急斜面、ヒールリフターが無いので、横から見ると歩くと言うよりよじ登っているように見える。
先行していたメンバーの姿もいつの間にか見えなくなってしまった。あたりはすっかり霧に包まれ見通しも悪い。バランスを崩して転ぶとそのまま下まで滑り落ちそうなので私も必死である。
大きく迂回しながら直登するかみさんに追いつくと、かみさんは「もうダメ」と言いながらその場に座り込んでしまった。
滅多に弱音を吐かないかみさんがそう言うのだから、相当にバテているのだろう。
私もそのずっと前から体力の限界に近づいていたので、喜んでその隣にへたり込んだ。
登り始めてから50分ほど経過していた。1時間ほどで登れるとの話しだったので、もうかなり上の方まで来ているのだろうか。
直ぐ近くをスキーを背負ったグループが亀のような早さでゆっくりゆっくりと登っている。
ここでリタイアしてしまっては他のメンバーに心配をかけるので、我が家も最後の力を振り絞って登り続けることにする。
今回スノーボードで初参加のI君が追いついてきた。自分たちよりも後ろに人がいるのは心強いものである。
「先に行ってください。」と声をかけたが、彼も私たちと大して変わりはなかった。「ボクも限界です。」
そんなI君の姿に、かえって元気づけられた感じで、霧の中を登りはじめる。すると、直ぐに雪面が堅くなってきて傾斜も緩やかに変わってきた。
どうやら私たちがへたり込んだ場所は、頂上まであと少しのところだったみたいだ。
こうしてようやく頂上へ到着。
頂上へ着いたらそのまま雪の上に寝転がって、冷たい飲物で喉を潤しタバコを一服。
それだけを心の支えにして登ってきたのに、頂上は冷たい風が吹き付け、とてもそんな余裕もない。
I君が最後に登ってきたところで集合写真を撮影して、直ぐに滑降開始となった。
しかし雲の中で周りは真っ白、どちらへ向かって滑り降りたらいいのかも分からない。ベテランメンバーを頼りにその後に付いていく。
斜面の手前で様子を窺っていると、やがて雲の中に淡い光が射してきた。そして舞台の幕が開くように目前の雲が消え去り、真っ白な大斜面が眼下に広がった。
大きなシュプールを描きながらメンバーが次々とその大斜面を滑り降りていく。
私も直ぐにその後に続いたが、雪が重くて思うようにスキーが曲がらない。粉雪を舞い上げながら颯爽と滑る自分の姿をその斜面に思い描いていたのに、現実は腰が引けて前のめりになりながら最後に尻もちをついてフィニッシュとなる自分だった。
それほどの深雪でもなかったので、整地されたゲレンデしか滑った経験のないかみさんもそれなりに滑り降りることができた。
そこでようやく休憩となる。
あれだけ苦労して登ったのに、滑り降りたらあっと言う間である。気持ちの良い滑りができたら満足感もあるのだろうが、今回はただ降りてきただけという感じだ。
登りの苦労と滑降の爽快感、計算してみても全然勘定が合わない気がする。夏山ならば、下山するときも歩かなければならないだろうし、それと比べてスキーで一気に滑り降りられると言うのは最高なのかもしれない。
頂上で最高の景色を楽しんで、気持ちよく粉雪の中を滑り降りて。バックカントリースキーの魅力を満喫できるのは、まだ先のことになりそうだ。
さて、後は駐車場まで滑り降りてと考えていると、皆もう一度上まで登り直すと言う。
「えっ?」
思わずかみさんと顔を見合わせてしまった。ゲレンデとは違う方向に滑り降りてきたので上まで登った方が良いという話しである。
そんな体力が残っているわけもなく、遠くにはゲレンデらしき場所も見えるし、下の方には道路も見えているので迷ってしまう心配もない。
そこで皆と別れて、我が家だけそのまま降りることに決めた。
シラカバ林の中を斜めにトラバースして滑る。高度を下げすぎると途中で登り直すことになりそうなので、ギリギリのラインで滑るようにする。
美しいシラカバの森に見とれていると、雪の中でもその白さが際だつような純白のウサギが私たちの前を横切っていった。
やがて湯気を上げる小さな沼が見えてきた。小湯沼である。
スノーシューで歩いた方が楽しそうな場所だ。やっぱり我が家にはこんなフィールドの方が合っているかもしれない。
そうしてようやくゲレンデの途中に出ることができた。
そのまま駐車場まで滑り降りて、雪秩父の温泉に浸かってスキーの疲れを癒す。
相変わらずの我が家らしいドタバタのバックカントリーデビューだったが、たまにたっぷりと汗をかくのは気持ちが良いものである。
早くも、次は何処の山へ登ろうかと考えはじめている自分だった。
と、その前にかみさんの山スキーを何とかしなくては・・・。
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