北海道キャンプ場見聞録
我が家のファミリー通信 No.13
京都紅葉の旅
南禅寺などが直ぐ近くという申し分のない立地のホテルに泊まったのだから、早起きして朝の散歩でもなんて考えていたが、さすがに今時期では早起きしても辺りは真っ暗。もっとも、仮に日の長い時期だったとしても、これだけ身体が疲れていては到底早起きなんてできなかったかもしれない。
のんびりと朝の時間を過ごしてから、今日の目的地嵐山へ向かった。
観光客の多い天竜寺も、朝の9時前ではまだひっそりとしていた。嵐山を借景にした美しい日本庭園もゆっくりと楽しむことができる。
そのまま天竜寺の境内を抜けて、裏の竹林の中の小道へと出た。北海道で竹と言えば根曲竹、本当の名前はチシマザサであり、竹と言うよりも笹が大きくなったようなものだ。
このような竹林の風景は北海道では絶対に見られないので、中を歩くだけで嬉しくなってしまう。
天竜寺庭園 | 竹林の道 |
竹林を抜けて、紅葉の名所「常寂光寺」へ。さすがに紅葉は無理だろうけれど、散り紅葉の景色くらいは楽しめるかなと期待していた。残念ながらその散り紅葉もかなり色あせてしまっていたが、小鳥のさえずりが響く境内はとても落ち着いた良い雰囲気だ。
急な階段を上まで登ると、檜皮葺の多宝塔の向こうに嵯峨野の街並みが見渡せる。
「常寂光寺」を後にして次は「落柿舎」へ。ここは何と言ってもその名前が好きだ。柿の実が木になっているだけで感動するくらいだから、この名前だけでとても期待感がふくらむ。
その期待通り、茅葺きの寂びた雰囲気の草庵の上には柿の実がたわわに実っていた。150円の拝観料を払って中まで入ってみたが、外から見るだけで十分の場所だったかもしれない。
常寂光寺からの眺め | 落柿舎 |
次に向かったのが「二尊院」、入り口に立って中に入るかどうかしばらく迷ったが、そのまま通り過ぎることにした。
一カ所数百円の拝観料でも、数が多くなってくるとその金額もバカにならない。出発前に行ってみたい寺をリストアップしてその拝観料を計算してみたところ、それだけで一人1万円を超えることが判明したのだ。
その次の祇王寺には入ってみることにしたが、ここもちょっとその金額分は楽しめなかった気がする。でも、ここでの散り紅葉は、まだ色鮮やかに苔の庭を覆い尽くしていた
こんな風に拝観料とその内容を比較しながらお寺を廻るというのも、ちょっと味気ない。とは言っても、正直財布の中身がとても気になってしまうのだ。
この辺まで歩いてくると、再び足の痛みが気になってくる。適当な茶屋があったので、そこで一休みすることにした。
店内の写真を見ると、秋篠宮殿下夫妻がここに立ち寄った時の写真が飾ってあった。
甘いお汁粉を食べて少し体力が回復、ここでの最後の目的地「化野念仏寺」へ向かう。
通り沿いにはお土産屋が多くなってきた。学生時代に京都へ来た時も、この辺を歩いたことが何となく思い出されてくる。
遠い昔の話しなので、何日くらい京都に滞在してどんな寺を廻ったのか、おぼろげな記憶しか残っていない。それでも、京都のめぼしい寺にはほとんど行っているような気がする。
その時は今回よりももっと沢山歩いているはずだが、足が痛くて歩けなくなるようなことは無かったはずだ。自分の年齢をヒシヒシと感じてしまう、今回の京都の旅である。
化野念仏寺は数千体の石仏が並ぶ姿が有名だが、それを見るのが2回目ともなると大して感動もしない。初めてそれを見るかみさんも、それほど喜んではいないみたいだ。
祇王寺の散り紅葉 | 化野念仏寺 |
そこからはバスに乗って嵐山まで一気に戻ることにした。
朝はまだ静かだった嵐山も、お昼が近いこの時間ではまさに観光地そのものに変わっていた。
道路沿いのお土産屋も念仏寺付近の洒落た感じの雰囲気はなく、如何にも観光地そのもの、修学旅行のお土産の何故か定番となっている木刀が店先に並んでいるのを見るとがっかりしてしまう。
渡月橋を見下ろす桂川沿いの蕎麦屋で昼食を取り、直ぐにそこを逃げ出すことにする。次の目的地は地蔵院・華厳寺あたりへ行く予定だったが、山寺風の小さなお寺巡りにも飽きてきて、そろそろ本格的なお寺が見たくなってきた。
それはかみさんも同じだったみたいで、私が妙心寺にでも行こうかと言うと、急に元気になったみたいだ。
どちらかというと私は、苔むした山門やこぢんまりとした庭の侘び寂びの世界が好きなのだが、かみさんの方は、仏像やひんやりとしたお寺の雰囲気の方が好きみたいだ。
嵐電に乗って妙心寺へ、築地塀が続く広大な境内はまるで違う世界に足を踏み入れた感じがする。
多くの小院の門の向こうではどんな生活をしているのだろう。全く知らない世界に興味が湧いてくる。
仏殿だの法堂だの方丈だの、それらの違いは全く解らないが、そのスケールの大きさに圧倒されてしまう。
それと何と言っても感動させられるのは、それらが何百年も前に建てられたものだということだ。同じような建物でも、それが火災にあって最近立て直されたようなものだったとしたら、そんなには感動しないだろう。
北海道内での古い木造の建物と言えば、せいぜい百年ちょっと前に建てられた鰊御殿くらいしか思いつかない。このような歴史のある建築物には北海道ではお目にかかれないのだ。
数百年もの間、雨風に耐えてきた太い柱に手を触れると、それだけで畏敬の念が湧き上がってくる。
どんなに素晴らしい名園でも、その姿は年月と共に変わってきているはずであり、果たして作庭時の姿がそのまま残されているのか疑問に感じることもある。
それに比べてこのような木製の建築物は、たとえ解体修理されたことがあったとしても、確実に昔からの姿をそのまま残しているものであり、それに触れることにより何百年もの月日を一気にタイムトリップできたような気分になれる。
嵐山、渡月橋から | 妙心寺 |
妙心寺では退蔵院と大仙院を見て、次の目的地北野天満宮に向かった。
特に北野天満宮を見たかった訳ではなく、その近くの上七軒というお茶屋が軒を並べる通りの景観を楽しみたかったのだ。
そう言えば、昔金沢に行った時も同じような遊郭街のあった場所を歩いたことがあり、何となくこのような場所に惹かれてしまうのである。
一方、かみさんは全く興味が湧かないらしく、「何でわざわざこんなところへ来るわけ?」と不満そうな表情を浮かべながら、写真のモデルになってくれる。
カメラのファインダーを覗きながら、ちょっと雰囲気が違うよなーと思いながらシャッターを押した。昨夜、ホテルでテレビニュースを見ていて、大根炊きという行事が行われているのを知った。中風や悪病よけに大鍋で炊いた大根を食べると言う行事だそうだが、その大根炊きが行われている千本釈迦堂が、そこから直ぐ近くにあるので行ってみることにする。
旅先でのこんな予定変更も楽しいものである。
ところが寺の入り口まで行って驚いた。大根を食べるための券を買う人だけで、長い行列ができている。さすがにその列に並ぶほどのゆとりも無いので、大根は諦めてそこを後にした。
その後は西陣の街並みも歩いてみたかったのだが、そろそろ足の疲れも限界に近づいてきていた。
さてどうしようかと途方にくれていると、かみさんが道の脇に漬け物屋を見つけたので、そこに入ってみることにする。
行き当たりばったりだったけれど、「近為」と言う結構有名な店みたいだ。
漬け物大好きなかみさんが色々と品定めをしている間、私は試食して廻る。食べ過ぎて喉が渇いてしまった。
そこを出た後は、ホテルの隣の南禅寺へ行くことにした。昨日は境内を通り過ぎただけだし、そこならば歩き疲れたら何時でもホテルに戻ることができる。
バス地下鉄を乗り継いで南禅寺へと向かった。
地下鉄の蹴上駅を出ると南禅寺までは直ぐだが、昨日とは別の道を通って南禅寺へ行ってみることにした。
ガイドブックの地図では、琵琶湖疎水沿いに南禅寺まで道が付いているみたいだ。
実際にそこを歩いてみると、道と言う代物ではなかった。疎水の縁のわずかなスペースを歩くのだが、手すりも無くて一歩間違えれば川の中に落ちてしまうし、その反対側も落ちたら大怪我必死の急な崖になっている。酔っぱらった状態では絶対に歩きたくないような道である。
思わぬところで冒険気分を味わいながら歩いていると、水路閣の上に出てきた。このレンガ造りの水路閣も私の好きな場所である。
初めてここを訪れた時は、古風なお寺の中に突然中世ヨーロッパ風の景観が現れて驚かされたのだが、その古ぼけたレンガの味わいが何とも言えない。
昨日に続いて今日も到着した時間が遅かったので、巨大な山門に上ることができなかった。何時かはこの上に上って、石川五右衛門風に「絶景かな~」なんてやってみたいものだ。
水路閣と紅葉 | 南禅寺三門 |
そこからは昨日と同じ道を、昨日と同じように疲れた足を引きずりながらホテルへと戻った。
夕食は祇園の「京麹」という創作和食の店へ。さすがにこの日は歩いていく元気もなくて、地下鉄電車を乗り継いで祇園へ出ることにする。
京阪電車の4条駅を出ると、突然直ぐ目の前に南座が現れ、予備知識も無かったので驚かされた。歌舞伎が大好きなかみさんは、思わぬ発見に大喜びだ。
「京麹」では、一番お手頃なはんなり鍋の3200円のコースを注文する。私としてはちょっと物足りない気がしたが、かみさんは昨日の店よりもこちらの方が気に入ったみたいだ。
帰り道、通り沿いのお団子屋さんの美味しい匂いに引き寄せられて、みたらし団子を買って帰った。
京都旅行も後一日、それにしても京都のお寺を見て歩くためには体力が必要だと痛感させられる。